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血の四部作「森 フォレ」を観たよ

【約束する!決して見捨てない!】

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悶々と考えていたら一ヶ月以上経過していた。新鮮な感想ではないと思うけど、記録しておきたい。

そもそもこの作品を観ようと思ったのは成河さんが出ているからなのだが(影響されやすいもので……)、成河さんが繰り返し「何かに悩んでいる人に観てほしい」と仰っているのが気になっていた。観劇して一ヶ月と半分くらい経過しているが、正直なところその意味するところはまだよく分からない。

この物語は母に見捨てられた(と感じている)二十歳の女性・ルーが古生物学者の男性・ダグラスと共に自身のルーツを辿る物語である。と書くとありきたりなように聞こえるが、戯曲としてとても完成度が高い。
「自身のルーツを辿る」と言っても単純に先代である母、そのまた母……と単純に辿るのではなく、突然数代前まで遡ったりはたまた現代に近付いたりと、八代に渡る物語を時代を行ったり来たりしながら編まれている。それでいてきちんと集中して観ていれば取り残されることもない。


行き来する時代も綿密な伏線になっていて、終盤で「あぁ、このためにあの時代をあのタイミングで描いたのか」と気付くこともあった。ものすごく計算された緻密な戯曲だと思う。
翻訳ものとは思えないほど日本語のまわしが美しかったのも印象的だった。
そしてそれを演じる役者たちの素晴らしさ!
ルー役・瀧本美織と、ダグラス役・成河以外は全員が何役か兼任している。血縁がある人もない人もだ。ほんの数分の間に人物が入れ替わる面白さ、それでいてこちらが混同しないように演じ分けられる、とんでもない役者たちをよくもまあこれだけ集めたものだ。
瀧本美織は可愛くてほわほわとしたイメージが強く、拗れた性格をした、サイド刈り上げでピアスをたくさん開けて革ジャンを着てる女の子を演じていたのは新たな一面を見られてよかったです。
ルーの両親は病気の治療のためとはいえ一度ルーを中絶しようとしていて、そのことについて「お父さんたちが計画した殺人のことを!(うろ覚え)」と叫ぶシーンがあったのですが、これにもまたどきりとした。ルーの寂しさの根源はこれだったのだとひしひしと感じる悲痛な叫びが素晴らしかった。
それから特に、エドモンを二人一役で演じた大鷹明良・亀田佳明の両名、ルーの祖母であるリュスの現在と若いころを演じた麻実れいの素晴らしさといったら!
直前に野田MAP「フェイクスピア」を観劇しており、幼い子どもを演じる橋爪功に驚嘆していたが、麻実れいにも驚いた。70代の役者が「子ども」を演じて違和感がないとは………驚きを通り越していっそ恐怖すら感じる。
セットも年輪を思わせる造りの床を八百屋舞台にしただけのとてもシンプルなもの。椅子や机といった必要最低限の大道具は登場するがそれだけである。
今回、ご縁があって一階前方席で二回観劇したが、役者たちが「二階、三階は特等席」と言っていたのにも納得した。一度は一階後方もしくは二階席で観るべきだった……。
緻密な戯曲、素晴らしい役者、シンプルながら役者の配置が絶妙な演出、とてもとても素晴らしい演劇体験をした!いいものを観た!
……と思うと同時に、「男性が描く神聖(神性)化された女性」の作品であるとも思った。
個人的にはたいへん「気持ち悪い」作品でもあると感じた。
血縁の物語であるにせよ「妊娠して」「子を産む」女性にすべてを背負わせているようで、なんか、男性の妄想するファンタジーに思えてしまった。近親相姦とかの要素もあったからかな……偶然ではあるが観劇前日に在来線で女性たちを狙った傷害事件、所謂フェミサイドが起きており、物語の導入にフェミサイドについての言及があったのでいろんな要素が入り混じって観劇中にかなり気分悪くもなってしまった。

最終的にルーとダグラスが未来に希望を感じて終われたのがよかったけれど、ルーは最後に血の象徴である「赤いコート」を纏い、ダグラスは父との約束である「遺品のコート」を脱いだのが、ここでも女性は血に囚われるのか……とも思った。
素晴らしい演劇を観た!のに、気持ち悪い戯曲を観てしまった……と同時に思う面白い演劇体験でした。
最終的には「観てよかった」と思えたので、いつかまた思い返したときに何かを感じるのかもしれません。

2021.08.07. 13時
2021.08.08. 13時(大千穐楽