世界が終わる日が休日ならいいな

好きなものを好きなときに好きなだけ

舞台「ムサシ」を観たよ

【恨みは、晴れるのではなく太くなるのではありませんか】

f:id:lg_mami:20211009095722p:plain

さて感想記事を書こう、どんな作品と書げはいいかな、と考えて、「沁みる作品だったな」と思い至った。
舞台は禅寺。もはやこれだけで沁みる。幕開きの厳流島と終盤の一場面を除いてすべて同じ場所で話が進んでいく。厳流島から禅寺へ転換するときにたくさんの竹がざわめく様子もまたいい。
全編通して曲数自体はそんなに多くはないけれど、重要な場面で印象的に使われる宮川彬良の音楽も心地よかった。厳流島の決闘で武蔵に敗れた小次郎が重傷を負いながらも生き延び、武蔵憎しとただそれだけで七年間も追い続ける、それもまた沁みる。
そう、そしてその七年振りの再会で見せた溝端小次郎の表情といったら!
今回、有り難くも2列目(実質最前!)で観劇したのだけれど、小次郎の瞳に涙が溜まって、ほろりと零れる瞬間を目の前で目撃してしまった。憎き相手を見つけだした歓び、最強の剣客と剣を交えられる歓び、七年前の厳流島、狭い手で翻弄された悔しさ、それまでの剣客人生、ここに至る七年間、きっとあの数秒で溝端小次郎の胸には様々な感情が渦巻いていたのだろう。
前回観たのは2013年公演。あのときも瑞々しくて爽やかな小次郎だなと思っていたが、その印象はそのままに、言外に訴えることがとても多い芝居をするなと感じた。溝端、いい役者になったねぇ……。
藤原武蔵はさすがの一言。飄々と小次郎の言葉を往なしながら、ひとりの剣客として小次郎を認めている。だからこそ厳流島で「お手当を!」と叫んだのだし、再会のその瞬間に笑みが零れたのだろう。もしかしたら感じたのは「剣客の」気配ではなくて「小次郎の」気配を感じていたのかな。
ふたりのバランス感覚がとても絶妙で、「吠える小次郎と、往なしながらもたまに受け止める武蔵」という構図がとても良かった。武蔵36歳、小次郎29歳、その年齢差も違和感ない造形だったな。
そして吉田鋼太郎も負けてはいない。興奮すると舞を舞ってしまう柳生様。
ふたりを夜中に決闘させないように考案した五人六脚の場面はとにかくやりたい放題!武蔵の脚を引っ張りまくり、引っ張り返されたかと思えば小次郎にも引っ張られ、普通に「痛い!」って叫んでいたし扇子で武蔵の脚を叩きまくる。武蔵もめちゃくちゃ痛かったようで、素に戻って思いっきり叩き返していたのは本気で笑った笑。「ひょうきんな偉い人」を演じさせたら右に出る人はいないんじゃなかろうかと思えるほど。
女性陣も相変わらず素晴らしかった!白石加代子のおどけた様子、鈴木杏の鈴が鳴るような声と台詞回し、父の敵を討つと決意したときの大きな瞳。
そして物語を大きく動かすこのふたり。さり気なく、けれど確実に武蔵と小次郎の心を動かしていく。五人六脚もだけれど、剣術指南の場面もこの公演の中でいい息抜きになっていて少しほっとする。

脚本もとてもメリハリがあって気持ちいい!
おどけているところ、真剣なところ、真剣であるがゆえに面白いところ、絶妙なバランスで成り立っているなと思う。
そして台詞回しが本当に美しくて気持ちいい。
井上ひさしの戯曲をたくさん観ているわけではないのだけれど、声に出したときに気持ちよくなるように書かれているなぁと思う。美しいなぁ。
「恨みの連鎖を断ち切る」「生命とは尊いもの」というある意味で陳腐すぎるテーマだし、やり尽くされたものかも知れないけれど、それをきっちり丁寧にやるとここまで普遍的なものにもなるんだなと実感します。
ネタばらしのシーンは語られる無念が晴れていくところにまたほっとしたり。やっぱりバランス感覚が絶妙な脚本・演出・芝居だと思う。
そしてラストシーン、武蔵と小次郎が無言で旅支度をしたあと、「……友人です」と紹介された小次郎の瞳がまた、再会のシーンのようにあの大きい瞳いっぱいに涙が溜まっていたことに胸が苦しくなった。このふたりの関係は本当に「好敵手」であり、それ以上でもそれ以下でもないんだなと思う。
このシーンがいちばん「沁みる」シーンだと思う。めちゃくちゃ好き。
2013年公演の、小次郎の「いとえよ」という台詞が好きで好きで堪らなかったんですけど(それを聞きたいがために大阪のあと東京まで観に行った)「身体を、いとえ」に変更されていたのは少し寂しかったです……。
でも2018年公演を観られなかったのが悔しかったので、また藤原武蔵と溝端小次郎で再演してくれて嬉しかったです。ありがたい。

そして配信が決まったからみんなぜひ観てくれ〜!!頼む〜!!


2021.10.02. 13時