世界が終わる日が休日ならいいな

好きなものを好きなときに好きなだけ

ミュージカル「ストーリー・オブ・マイ・ライフ」を観たよ

【そこにはない物語を探さないで】

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初演、都合が合わず観劇できなかったのですが、韓国で人気の二人ミュージカルであること、田代万里生と平方元基がキャスティングされふたりで役替わりするのが話題になったこと、は、強く印象に残っています。開演後の舞台写真、ふわふわとしたスモックみたいなお衣装も。
それが今年「スリルミー」でまりおさんファンのお友達がたくさん出来たり、まりおさんの情報をしっかり追うようになったタイミングで再演が決まったので、これもご縁、と遠征して観劇することにしました。
観劇前に入れた情報と言えば「死んだ幼馴染・アルヴィンの弔辞を何度も書き直すトーマスのもとにアルヴィンが現れてふたりで弔辞を書く」のと映画「素晴らしき哉、人生!」を観たくらい。
元々あまり予習をしないタイプなので、事前情報として映画まで観るのは珍しいのですが結果的にこれが正解でした。観るように教えてくれた方、本当にありがとう……。
「アルヴィンが好きな映画」として何度も登場人物の名前や劇中の出来事が台詞に出てくるので、観ていなかったらだいぶ置いてけぼりだったと思う。
そして初演から印象的だったふわふわのお衣装も正直、世界観に合わないのでは……?と疑問だったのですが、映画に出てくる天使クラレンスをイメージしたものだったと理解。そして舞台上で見ると思った以上に「普通」に見えて、やっぱり演劇は劇場で見てなんぼだなと思いました。

さて、お衣装の影響も多大にあると思いますが、各ペアで大きく印象が違ったのはアルヴィンでした。初演と同じくクラレンスのようなふわふわお衣装のまりアル。一度天界へ行ったけれど弔辞を書けないトーマスを見兼ねて戻ってきたのか、クラレンスと同じく見習い天使なのか。終始、実体のない「トーマスを通して見たアルヴィン」の印象が強かったです。
それから、ウィーン版エリザの「トートはその人の見たい姿で見えている」という解釈が観劇中ずっと頭の隅にありました(シシィには絶世の美男子に、ルドルフには絶世の美女に見えている、という感じです)。もしかしたら「アルヴィンではない天使がトーマスの目にはアルヴィンに見えていたのかな」とすら思えました。
それとは対極にもとアルはキービジュアルとほぼ同じ、シャツにスラックスとサスペンダー、子どもの落書きが書かれた白いジャケット。弔辞を聞きたいがために死んでからずっとそばにいて、なかなか書けないトーマスのために姿を現した「実体のある」アルヴィンだと感じました。
特にそれを感じたのが「お金と称賛」のシーン。まりアルの「すごいよね!」の皮肉めいた言い方!怖〜!あれ、トーマスはアルヴィンに責められたと感じていたのか……って思った。もとアルはほんと素直に「すごいよね!」に聞こえたので。
ここだけじゃなくて、まりアルはちょいちょいトーマスに対して棘があるな?と感じていて、それが「トーマスを通して見たアルヴィン」に見えたのかも。ひらトムはアルヴィンにずっと「責められている」と感じていたのかもしれない。と言っても、それはきっとトーマスの罪悪感からくるものだったとは思うんですけど。なんか、ひらまりは全体的にひらトムの懺悔って印象があったな。
例えば、ひらトムは進学で上京するときにアルヴィンを地元に残していくことに胸を痛めていそうだった。それはまりアルの、一種の狂気を感じるほどの天真爛漫さというか、「普通じゃない」感じの子どもっぽさがそうさせたのかな〜というか。泣いて引き止める幼児を振り切ってお別れするのって罪悪感感じるじゃないですか……そういう感じ。
「香水付けてるの……?」があまりにも木綿のハンカチーフでちょっと笑っちゃったくらいなんですが、おおまきにはあんまり感じなかった。ただ事実として「香水を付けていること」に驚いただけっていう。ひらまりは「香水なんか付けて僕の知ってるトムじゃなくなってしまった……?」みたいな。
もとアルは無邪気で子どもっぽくはあるけれど年相応だったように感じます。アルヴィンパパのお葬式で「遅刻だよ?」と言った声は責める様子もなく、なんなら少し微笑んでたかもって思えるくらい優しい声でした(ほんとに微笑んでいたかは覚えてないけど……)
このシーンもまりアルは現実を受け入れられなくて泣き倒していたように感じたのですが、もとアルはもうお父さんの先が長くないことを分かっていて心の整理をつけていたんだろうなと。
ハグも、ひらトムからの勢いが大きいひらまりと、ふたりが均衡なおおまきって感じでずいぶん違う印象でした。
ひらトムってまりアルのことずっと「子ども」だと思ってたんじゃないかな。ずっと一緒にいたから成長に気付かないという感じの。まきトムはわりともとアルを俯瞰的に見られていそう。
あとそういえば、印象的なベルの音。ガイズ&ドールズのIf I Were A BellやHAIRSPRAYのI Can Hear The Bellsのように、わたしはブロードウェイにおける鐘の音=恋に落ちる音だという認識があって、もちろん劇中の台詞通り「ベルの音は天使が翼をもらった音」でもあると同時にアルヴィンがトムのことをさらに好きになる音なのかなとも思った。でもこれはひらまりだけに感じていて、おおまきは台詞通りの意味だけを感じたな。おおまきって良くも悪くもあっさりしていた感じ。いやおおまきがあっさりしていたというかひらまりがねっとりしているのか?笑
ふたりでスノーエンジェル作ってるシーンは楽しそうだからこそぎゅっときてしまった。ふたりとも「10歳のように」なれる瞬間だったんだな……。

最後まで、アルヴィンの死が事故なのか自死なのかわからない。そして、もし自死だったとしてもその正確な理由を知ることはできない。

「どこかで読んだんだけど、人間の脳はすべてを完璧に覚えているんだって。すべての瞬間、すべての詳細に至るまで。そしてその全部を仕舞っている。……その場にいなかったことを思い出すことはできない。そして君はいなかった!」

事故にしても自死にしても、ふたりが親しければ親しいほど「なぜ」「どうして」という思いが巡るのではないだろうか。最期のことを知りたい。その思いも強いと思う。何度も何度も繰り返されるシーンはその象徴なのかもしれない。
それでもアルヴィンは言う。
「君の頭の中には何千もの物語があるはずだよ。そこにはない物語を探さないで」
ここ数年、いろんな悲しいことが多すぎた。「なぜ」「どうして」、わからないと分かっていながらも、今でも最期のことを考えてしまう人もいる。けれどこの言葉がすべて。
「そこにはない物語を探さないで」
遺された人たちは悲しいことも飲み込んで生きていかなければいけない。たったひとりで旅立った瞬間のことを追い求めてしまいたくもなるけれど、勝手に自分たちで物語を作ることはすべきではない、と、思う。それは旅立った人のために。
「ベルが鳴るのは天使が翼をもらった合図なんだ!」
まりおさんがトークショーで「アルヴィンは最後まで精一杯生きました」と言ったそう。
最後まで精一杯生きたアルヴィンはきっと見習い天使になって、いつか翼をもらうんだろう。ベルの音とともに。


2021.12.18. 17時(田代・平方)
2021.12.19. 17時(太田・牧島)