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ドキュメンタリー映画「成功したオタク」を観たよ

【推しが犯罪者になるということ】


監督オ・セヨン氏の推し、チョン・ジュニョンが逮捕されたのは『バーニング・サン事件』でのこと。この事件にはわたしの好きだったグループ、BIGBANGに所属していたV.I.ことスンリと、CNBLUEに所属していたイ・ジョンヒョンが関わっていたこともあり、ある種の義務感を持って観た。
最推しではなくとも好きだったアイドルが犯罪者になっている現実がわたしにもある。ファンはその現実にどのように向き合い、感情を整理すればよいのか。

いちばん印象に残る話をしていたのはインディーバンドのファンだったお姉さん。
雨に降られながら野外ライブで聴いた曲。ファン仲間の結婚式でその曲を歌う約束をしていたのに性犯罪報道があって歌えなくなり、違う曲を歌ったのだそう。
「それもいい曲だけどわたしたちにとっては特別な曲ではない」
犯罪行為はファンの思い出もすべて踏み躙る……といった内容。
それと同じ文脈で、ジュニョンペンの監督とスンリペンの友達がグッズ供養してるシーンは泣いてしまった。
「今は憎いけど当時は好きだった」
サイン入りのCDをひとつひとつ取り出して「このサイン会では……」「こんなこと言ってくれて」などと思い出を語るふたり。
「オッパ大好き!」という感情ももちろんだけど、思い出、記憶が穢されているんだよね。
犯罪を、犯罪を犯した人を許すことはできない。熱狂的に好きだったことを後悔するときが来てしまった。けれど確かに好きだった。それなのに好きだったことが汚点になる。
ファンが買ったCDでお金を稼いだのだからファンに恩を返すべきじゃない?そのお金でお酒を飲んで犯罪を犯すの?」と言っていた人もいた。
「元からそういう人だったのか、お金を稼いでしまったからそういうことをしてしまったのか」と言う人も。
「ファンの応援が加害に加担したということかもしれない」と悩む人もいて。さすがにそれは極論だしわたしはそうとは思わない。
だが、それほどファンは傷ついたのだ。ファンは間接的な被害者である、と。
監督のお母さんの推しはセクハラ疑惑をかけられてすぐ自死したそう 。
「悪いことは死んだこと、その次に悪いことは償わずに死んだこと。生きていたら違った感情を持てたかもしれないのに、そうさせてもくれなかった」

〝推し活〟とはファンのエゴイズムに溢れた活動だと思う。
芸能人、アイドルだってひとりの人間だ。ファンに見せていない部分だって、むしろ見せていない部分のほうが多いはず。
それなのにイメージや理想を押し付け、そこから逸脱すると悪口を言い、唾を吐いてファンダムから去っていく。
けれど、犯罪行為を、ましてや性犯罪を犯す人だなんて誰も予想しえないことだろう。
わたしは常々、「推しとは究極自分の人生には関係ない人だからちょっとクズなほうが興奮する」などと言ってはいるが、それはファンと繋がったり付き合ったりといったレベルのことで、犯罪行為をしてしまうのとは違う。
まぁそれだって自分の理想を押し付けているのですが。
俳優や映画監督が同じことをしたときに言われること。
「本人の罪と作品は違う」
それも当たり前だとは思うが、では性犯罪を犯した人間の姿が表に出ているのを苦しむ被害者の存在は?犯人を支持するファンの存在は二次加害にならないか?
性犯罪ではなくとも、大麻や薬物は?犯罪ではないけれど不倫や不誠実な恋愛関係は?
それを許せる/許せないの差は一体なんなのか。
この問いにいまだに答えは出ない。ずっと心の整理がつかない。あらゆる不祥事の報道を見ながら何度も何度も問い直す。
好きの気持ちがあったからこそ犯罪を犯したことがファンは苦しいのだ。好きだったからこそ理想のイメージ通りの誠実な人でいてほしかったのだ。そしてその気持ちが推しの負担になっていたのではないかと苦しいのだ。
もちろん、期待が負担だからといって犯罪を犯すことは社会的に許されることはないのだけれど。

二度の飲酒運転をしてSuper Juniorを脱退したカンインペンのお姉さんが「表に出てこないでほしい。静かに暮らしてほしい。結婚もしないで。飼い犬とひっそりと幸せに暮らして」って言ってて、わたしはこれがいちばん自分と近い感情だなと思った。
「つらくなったらお酒を一杯飲んで。でも飲んだら外出禁止ね」。
そう言って笑うお姉さんの言葉がとても優しく、そしてとてもつらい。

2024.04.05.